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11/18「マリー・アントワネット」ソワレ~その2~

続きです。



実際に初日に観劇するまで、私が「MA」に対して持っていたイメージは「2人のMAの人生をドラマティックな音楽にのせて描いた歴史大作ミュージカルなんだろうなあ」でした。愚かではあったけれど愛すべき人であったアントワネットが迎える悲劇の最期に涙し、マルグリットをはじめとする民衆達のパワーに圧倒され、鳥肌が立つ様な音楽の波が押し寄せ、カテコではスタンディングオベーション!みたいな。



ですが初日を終えて…初日は確かに総スタオベでしたがあれはご祝儀も含まれていますから…自分の想像と全く違う印象の舞台に最初は正直な所ガッカリもしました。次に感じたのは戸惑いでした。どの人物にも殆ど感情移入できず、物語に入り込めなかったからです。比較的人物描写のわかりやすいルイ16世・フェルセン・アニエスといった人物に対しても「もっと掘り下げれば今よりずっと観客の共感を得られるのになぜそうしなかったのか?」と思いました。



そして今ようやく「ああこの作品は観客が誰か特定の人物に感情移入する事で偏った見方になる事を避ける為にあえて距離感を持たせているのか」と思うようになりました。作品の世界に入り込んで体感するタイプの作品ではなく、観客に捉え方の自由を残す作品なのだと。作品の狙いがそれであれば、今まで帝劇で体感してきた舞台と客席が1つになる様なカタルシスがないのももっともだなあと。



国王夫妻に関する史実のエピソードで有名なものが悉くカットされているのも、その狙いゆえなのかと思うようになりました。

たとえばルイ16世が処刑される時に「私は罪無くして死んでゆく、しかし私を殺そうとする者たちを私は許そう」と王の威厳に満ちた言葉を述べたというエピソード。

アントワネットがヴェルサイユに押し寄せた女達の罵声をお辞儀ひとつで静まらせ、法廷で近親相姦を告発された時には「母なるものに加えられたこのような疑いに答える事を自然が拒むのです」という言葉で聴衆の女性達に感動を与え、最期の言葉が断頭台に登る際に足を踏んでしまった役人に対して「ごめんなさい、うっかりしましたのよ」であったというエピソード。

どれもフランス革命史に興味を持った人であれば必ず知っているであろう、かつ感動的なエピソードだと思うのですが、これらは全て割愛もしくは変更されています。私も当初は「なぜ入れないの?なぜ変えるの?」と思いました。今その答えとして前述の通り「特定の人物に感情移入させないようにする為だ」と私は解釈しました。これらのエピソードを入れてしまうと多くの人が国王夫妻に同情し涙する事でしょう。その様に観客の視点が一点に定まってしまう事を避けたかったのかなと…いやもうそうでもしないと理解できん!というのが本音なのですが(苦笑)。



あと「心の声」でヒートアップする歌と反比例してセットが下がっていくのも、客席を必要以上に盛り上げない為なのかと思ってきました。あそこが「エリザ」の「ミルク」の様にがーっと盛り上がって終わると間違いなくショーストップになると思うんですが、それをセット毎下げるという手段で「あの主張は正しいのかちょっと冷静に考えてみて下さい」と言いたいのかなと。



色々書きましたが「感情移入できるか否か」と「人物の心情がわからない」とは別問題だと思っていますし、距離感を持たせようとした結果が「中途半端な描写である」「焦点がぼやける」という意見を少なからず生んでしまっている事は再考の必要があるのではと思います。

前にも書いたのですが、マルグリットであれば「前の場面と心情が変わったのだな」というのはわかっても「何故その変化が起きたのか」が私にはわからなくてですね…。女達の行進で正義の為だと主張する→殺すなんてダメよ!と国王一家を庇う→なのにジャコバン党に参加という流れ。貧しさを身をもって知っているマルグリットが「お金の為だなんて間違えないで」と主張するのはやけに「イイ子」だなあと思ってしまうし、殺すのを庇うのは人として当然かもですが「じゃあどんな覚悟で先頭に立ってきたのか?」と思うし、あれ程オルレアンの策略に疑いの目を向けていたのに何故ジャコバン党で一緒に活動するのかも納得できなかったり。



もちろん人間、時間の経過や何かのきっかけで心情が変わる事はよくある事だというのはわかります。嫌いだったものが好きになったり、好きだったものが嫌いになったりする事もあります。でもその説明が無いのでは置いてけぼり感は否めません。そういう意味で「もっとミュージカルらしい見せ方」があるんじゃないのかなあと思ったりします。


マルグリットであれば「自分のやっている事は果たして正しい方向に向かっているのだろうか?」という心の迷いを表現するナンバーが1曲あるだけでだいぶ違うと思うんですよねえ。アントワネット処刑のシーンで「誰がするの?同情なんか」と口では強い事を言っても涙が溢れて止まらないという姿はその迷いの表現に近いと思いますしあの演技は大好きなんですが、帝劇のキャパでは涙を流しているかどうかは演技のカギにするものではないと思っています。肉眼で見える席はごく限られているし、オペラグラスで覗かなくちゃわからない演技には限界がありますから…。だからこそ1つナンバーがあればな…と思うのです。



アントワネットについても同様で。1幕の「完璧な王妃」のシーンでも口とは裏腹に、いくら高価な買い物をしても自分の思惑通りに大臣を罷免しても、実に退屈そうな顔をしてるんですよね。そこに王妃の満たされない心情が出ていると思うんですが、やはりここも注意して見ないと見落としてしまう…というか3回目でようやく気がつく私も相当遅いのは自覚してますけど…。ちやほやする周囲の人達に埋もれつつ、1人相容れない心情を歌うとかしてくれればわかりやすいのなあと思ったのです。

もちろん上演時間の制約もあったでしょうが、他の場面を削ろうと思えば出来ない事も無いのではと。私、春風さん大好きなのですが「パリ情報」の場面は要らないと思うし…



そういえば今回「完璧な王妃」「不器用な王」のシーンでアントワネットの「バァーっ」がなくなっていたのは嬉しかったです。個人的には「ダイヤでぇぇぇー」も苦手…あと首飾り事件でローアンの頭を扇で叩く所も…この2つはハプスブルグ家に生まれた王女の振る舞いとしては品が無さ過ぎるので止めて欲しいんですよーっ。1番イヤなのは死体放置カテコなのは変わりませんが…カテコだけは楽しくやりたい!出来れば毎回祐一郎さんのクコール化(紙吹雪お掃除姿)がみたい!(←また逸れてる)



後はラストシーンですかねえ。それぞれがそれぞれの立場で「自由」を歌っているのですが、重唱になっていて聞き取りづらい(泣)。同じ重唱でも「オペラ座」の「プリマ・ドンナ」の様にバラバラの旋律と歌詞を1つの音楽として楽しむのとは違って、ここは歌詞をはっきり聞かせて欲しい…故にCD早期希望。最後の「自由!」は日本語的に「自由を!」とか「自由が!」とか助詞を入れた方が聞きやすいのではと思っています。



以下3回目を観終わってもまだ全然理解できない事列記。どなたか意味を教えて下さい…。



マルグリットの「私の事なら放っておいて」に対してフェルセンが唐突に「あなたは素晴しい人だ!」というところ。フェルセンってもしかして人にすぐ同情したり感動したりするタチ(笑)?

お金や地位に目が眩んでばかりの百鬼夜行の様な宮廷生活にウンザリしていた所に、お金を(花代以上には)受取らないマルグリットの心根にうたれた、って事で良いんでしょうか。



同じくフェルセンの「あなたは王妃である事を証明するために全てを捨てなければならなかったのか?あなたの王妃としてのプライドはその代償に値するのですか?」のセリフの「その」が何を指しているのか…ああなんだか現国の試験みたいだよう…。



アントワネットの「愛したことだけが」の歌と裁判のシーンが矛盾している気がしたのです。「愛したことだけが」の中では「過ちの全てを忘れ去る程あなたがくれた一筋の光~」と自分の今までの行為を反省する様な事を歌っていたのに、裁判のシーンで莫大な浪費や国家に対する反逆の罪を認めますか?と言われた時に「いいえ」と思いっきり否認してますよね。え!?自分で過ちと歌ってたやんかー!!じゃあ何が過ちだったのか?と突っ込んでしまいましたが…。いやまあ歌詞はかなりウロ覚えなので、やっぱりCD早期希望…。



修道院学校を卒業して、母親の死後も生活費を送ってきていた父親がいたのに、何故マルグリットがあんなに貧乏なのかというナゾ。父親が死んで仕送りが途絶えたと解釈すればいいんでしょうか。でも生前わざわざ遣いの者にお金をもたせてた位なら、自分の死後もマルグリットが困らない様計らった気もします。フランツ1世は突然病死した、とある様なのでその暇が無かったとか…?



土居アニエス大好きなんですが、今回ふと思った事。「復讐は神の手で」「神が罰を下しますよ」というセリフがあるんですが、カトリックの修道女として見た時にちょっと引っ掛かってしまいました。

私は無宗教な人間ですが、小・中・高とカトリックのミッションスクールに通ってたのでキリスト教の教えに触れる機会は多かったのです。で、私の中ではキリスト=赦しの神だったので、アニエスの「因果応報」的にも取れる発言にふと疑問が…。確か原作ではアニエスは神の教えと現実との違いを目の当たりにして、修道女である事をやめるんですよね。それだったら意味がわかるんですが。うーむ。思わず因果応報を口走ってしまう程民衆の暴走が酷いものだったという事でいいのかなあ。もしくは民衆にはその言い方の方が効果的だからとか。

まあ土居アニエスは恥ずかしそうにしながらも下ネタ満載の風刺劇をしっかり観てますから(苦笑)割と俗っぽいところがあったのかもしれないですが。



だらだらと気がつけばまた否定的な感想ばかりを書きましたが、何故かチケット増えてます(苦笑)。12月は当初前楽だけでしたが、1枚増やしました。なんかこう「わからない」ところが多すぎて逆に確認したくなるんですよーっ!しかも値崩れの珍しいB席を定価以下で譲ってもらいました。嬉しいやら複雑やらです…。「観客に伝える事」と「観客に伝わる事」は芝居にとってどちらも欠かせない大切な事ですが、今の時点ではそのバランスがちょっと…というのがこの値下げ譲渡ラッシュの原因なのではとふと思う次第です。







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